とある結婚披露宴でのスピーチ
やまざきこども医院 山崎 弘文
○○大樹さん、☐☐絵里さん、本日はご結婚おめでとうございます。また、ご両家の皆様にとってもお慶びのことと思います。本日はお二人を祝福するために、京都やつくばなど全国からたくさんのお友達がここ札幌に集まっていますね。
私は苫小牧市で小児科医院を開業しております。私と新婦絵里さんとのかかわりは彼女が赤ちゃんの時です。皆様のお手元のパンフレットに新婦の紹介があります。「生後4カ月から大病をわずらったが、完治した。」とあります。その時に担当した医師が私です。その時私はまだ、20代後半の若い小児科医でした。
絵里さんから連絡があり、「この披露宴でスピーチをしてほしい。」と言われました。「私でいいのでしょうか?私がスピーチするなら、先日メールに書いた絵里さんの赤ちゃんの時の病気の話になりますよ。」と言ったところ、「ぜひ、その話をしてほしい。」とのことでした。ということで話しをさせていただきます。
私が絵里ちゃんと初めて会ったのは旭川の病院で、今から23年前、彼女はまだ生後4カ月の赤ちゃんでした。絵里ちゃんは皮膚が白くて、黄色く、泣き声もミルクの飲みも弱々しい赤ちゃんでした。すぐ入院になりました。診断は「自己免疫性溶血性貧血」。体の中で、血液が溶けて、貧血、黄疸になってしまう、という病気でした。絵里ちゃんの貧血は重症で、血液は普通の赤ちゃんの3分の1くらいしかありませんでした。すぐに治療を開始し、順調に回復していきました。このまま、うまくいくのではないかと思っていたところ、ある日突然、急激に血液が溶け出す溶血発作が起こりました。11月の勤労感謝の日でした。ほぼ正常近くまで回復していた血液が1〜2日ほどの間にどんどん溶け出しました。夜中、絵里ちゃんの血液はふつうの赤ちゃんの6分の1くらいになってしまい、意識もはっきりしなくなりました。私はあと数時間で、死亡診断書を書くことになるのか。と思いました。先ほど絵里ちゃんのお母さんと話したところ、「棺桶にいっしょに何を入れてやろうかと考えていた。」とのことでした。その時、私は一つの賭けにでました。幸いそれがある程度の効果があり、生命の危機を脱しました。その後、また回復したのですが、今度は麻疹にかかってしまいました。絵里ちゃんにはホルモン剤や免疫を抑制する薬を使っていたため、予防接種を受けることができませんでした。ホルモン剤や免疫を抑制する薬を使っている時の麻疹は非常に重症化します。絵里ちゃんはこの重症の麻疹で、再び命の危険にさらされました。崖っぷちから助けた命を麻疹なんかに奪われてたまるか、とがんばりました。麻疹もよくなり、やがて自己免疫性溶血性貧血も完治しました。
あの時、絵里ちゃんにいっぱい痛いことをしたと思いますが、私が抱っこすると泣きもせず、私の肩にかけている聴診器の耳にあてる部分をいつもおいしそうにチュパチュパと吸い付いていました。おっぱいは出ないのに。絵里ちゃん、私の聴診器、おいしかったですか?覚えていませんね。
私が小児科医になったのは、そのままでは死んでしまうかもしれない赤ちゃんや子供の命を助けたい。助けることができ、その子がそのまま人生を歩んでいけば、私のした仕事は私が死んだ後にも残る。と考えて小児科医になりました。絵里ちゃんのケースはまさにそのケースでした。
あの時の診療は私一人の力ではありません。私の先輩医師も病院のほかの職員も一つの医療チームでした。そして、絵里ちゃんのお父さんお母さんも医療チームの一員でした。その医療チームの成果です。絵里ちゃんのお父さん、お母さんの私に感謝する気持ちはその後もずーっと今日まで続いており、本日のスピーチに至りました。
自己免疫性溶血性貧血は感染しませんし、遺伝もしません。子孫繁栄を願います。夫婦はお互いを信じあい、思いやり、助け合うものです。お二人の歯車をがっちりかみ合わせて、幸せな家庭を築いていってください。
本当にご結婚おめでとうございます。